死を待つ心


 揺らぐ光の中で、季節が移り変わっていく。寒い季節から暖かい季節へと向かい、 そしてそれはあらゆるものを腐らせるほど温める。
 私は自らの手に集中して、視線を他にやらないように気を張る。 大根を千切りにすることだけを考える。タンタンタン、と音を刻んでいくと、 すぐに用意した大根がなくなりそうになった。味噌汁にしようと思っていたが、 サラダにしようかと思案を巡らせた。陽光が窓から射し込んではいるものの、 大量に大根サラダを食べるような気分にはならなかった。
 大根の頭を手に取る。輪切りにされた白い断面が、綺麗に顔を出している。 大根脚とは失礼な例えだ。大根の方が、まだ綺麗だ。
 私は結局、背後の方をそっと見る。どうせため息を吐くとわかっているのに。
 そこには丸々と太った義母が寝転がっている。一日中そこを動かずに、 テレビをかけっ放しにしている。見ているのか見ていないのかもわからない。 その姿はさながらトドのようで、だがそれもトドに失礼な気がした。
 暖かさを増すと、彼女の臭気も増す。その巨体のせいなのか、 彼女は風呂に入ることを面倒がり、滅多に髪を洗うことはない。 年々ひどくなり、暖かくなっていくこの季節に、私は恐怖する。
 私は包丁を見つめる。手に力がこもる。
 この大根のように、すっぱりと切ることができるだろうか。
 私の中に、「臭い。」と蔑まれた記憶が甦る。
 教室の窓際に立つクラスメイトたちの顔は、逆光で見えない。それでも、 それらが誰なのか、私は覚えている。彼女たちは言う。
 「臭ーい。」
 逃げるように走り去り、笑い声だけが耳の中に響く。
 いつも同じような服を着ているから、私は臭いのだと言う。 私は何も反論できない。じっと立ち尽くし、自分の服を穴が開きそうになるまで 見るだけだった。
 本当に穴が開いてくれれば、服を買ってもらえたかもしれない。 ぼんやり見当違いなことを考えながら、私は呼吸を整える。 ゆっくりと、手の力を抜いていく。
 私は何も言うことができない。
 死を待っているかのような自分に恐怖する。
 手にしていた大根の頭から葉の部分だけ、ザクッ、と切り落とす。 大根の葉を味噌汁の具にして、彼女に食べさせることしか、私にはできない。



BACK





inserted by FC2 system