ヒマワリの向く場所


 「じゃあ、三時ぐらいになったらここに戻ってくんのよ。」
 イクエの母親が言った。はあい、とイクエもリュウジも間延びした声で返事をした。
 イクエは一人さっさとヒマワリ畑の方へと向かった。ニュースで言っていたとおりの真夏日で、全身から汗が噴き出してくる。衣服がひたっと体にくっついて、気持ちが悪い。それでもイクエは、ずんずんと歩いた。
 イクエの家族とリュウジの家族の仲が良い、といっても、それは家族単位でのことだ、とイクエは思う。長い休みに入ると必ず一緒にどこかへ出かける計画をたてるけれど、今年でもうおしまいになるだろう。それとも、イクエが行かないと言っても続くのだろうか。イクエはヒマワリのように突っ立って、ぐるぐると考える。ヒマワリの中心が渦を巻いているような気がして、イクエは更に気持ちが悪くなった。
 ヒマワリの生い茂った間に座ると、少しだけ涼しく、イクエは自分の体を落ち着けようと深呼吸した。土の匂いがした。もうずっと嗅いでいないような気がしたけれど、半年前にリュウジや家族と行った国営公園で皆と鬼ごっこをしたことを思い出してしまった。イクエは俯き、膝をこれでもかというほど抱き寄せた。
 しばらくじっとしていたイクエは、唐突にすべてがくだらなく感じて、思い切り顔を上げた。座っている自分の頭上よりもはるか高く、ヒマワリたちは咲き乱れていた。嫌味なくらい、明るい黄色に輝いている。
 ふと、自分の重さに耐えられなかったのか、一つだけ茎の折れたヒマワリがイクエの目の端に入ってきた。イクエはそれを凝視し、そっとその花に近付いた。イクエはヒマワリの頭を両手で静かに支えた。茎は折れているけれど、花は立派に咲いている。
 イクエはこれまたくだらないと思いながらも、花を一つ一つ抜きはじめた。
 「おい、何やってんだよ。」
 イクエは一瞬手を止め、声の主をちょっとだけ振り向き見た。ヒマワリ畑の外側で、リュウジが汗だくになって立っていた。 夢中になっていたら、時間が過ぎるのを忘れていたらしい。イクエはすぐに花に目を落とした。
 「花占い。」
「え、何?」
 イクエはわざと小さな声で言ったのに、リュウジはその声を聞こうとヒマワリ畑へと入ってきた。
 「何やってんの?」
 狭い畑の間で、イクエの真後ろにリュウジは立った。イクエはリュウジの呼吸の音が聞こえて、手元が狂いそうになるのを堪えた。
 「…リュウジが、私のこと嫌いかどうか、占ってんの。」
「はあ?」
 リュウジの間の抜けた声に、イクエはイライラして勢いよく振り向いた。
 「はーなーうーらーなーいー。知ってる?」
「知ってるけど、」
 昔とは違う、リュウジがイクエを見る困ったような顔に気付き、イクエは花占いさえどうでもよくなってきた。けれど四分の一毟ったヒマワリが哀れで、イクエは黙々と作業を続けることにした。
 「なんでそんなことすんの。」
「なんとなく。」
「なんとなくって。」
「なんとなくは、なんとなくだよ。」
「嫌いで終わったら、どうすんの。」
「嫌いなんでしょ。」
「…嫌いじゃないよ。」
「うそくさっ。」
 イクエはぶちっと抜いた花を地面に投げ捨て、リュウジを見つめた。相変わらず、困惑しきった顔をしていた。
 中学生になったら、なんだか変わってしまった。ただ制服を着ただけなのに、見た目が変わったら、中身も変わってしまったような気がした。教室で話さなくなった、一緒に登下校しなくなった、校内では目を合わせなくなった、名前じゃなくて名字で呼ばれるようになった。
 どんどん出てくる不満が、イクエから言葉ではなくため息として出てきた。
 「もう三時になりそうでしょ。行こう。」
 イクエが中途半端に禿げたヒマワリを手放そうとすると、リュウジが慌てて持ち上げた。
 「何?」
「俺がやる。」
「え。」
 リュウジはヒマワリを持ち直すと、花を二つ三つまとめて抜いていった。
 「嫌いじゃない嫌いじゃない嫌いじゃない…、」
 十回もしないうちに、すべての花が抜け落ちた。
 「…花占いって、一枚ずつやらなきゃ、ダメだと思う。」
「知ってる。」
 そう言ってリュウジはヒマワリをイクエに手渡した。
 丸坊主になってただの黒い塊にしか見えないヒマワリを、イクエは両の手の平いっぱいに置いた。その姿がおかしくて、イクエはついつい笑ってしまった。
 「意味わかんない。」
「俺も。」
 リュウジも笑っていた。
 足元に散らばった黄色い花の中に置いてみると、元通りに戻ったように見えて、増毛増毛、と二人でふざけ合った。
 「イクエー。」
「リュウジー。」
 遠くの方から母親と父親の声が聞こえてくる。イクエとリュウジは顔を見合わせて、焦ってヒマワリ畑の外へと駆け出した。
 前を走っていくリュウジの背中を見て、やっぱり昔のようには戻れないのだろう、とイクエの頭の中に突然浮かんだ。イクエは一人立ち止まり、ヒマワリ畑を振り返った。ヒマワリは二人がいた場所がわからなくなるくらい、茫々と広がっていた。
 「おい、早くしろよ。」
 リュウジはわざわざイクエの側まで戻ってきていた。
 「あ、うん。」
「何だよ。怒られるぞ。」
「まあ、いいじゃん、二人で怒られれば。」
「嫌だよ。」
 リュウジは心底嫌そうに、眉を八の字に曲げた。イクエは笑って、また走り出した。
 二人は並んで、ヒマワリ畑を後にする。いつもと同じ家族のいる場所へと帰っていく。



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