心象風景


 見知らぬ街に立っていた。
 右方を見てみると、下り坂が一直線に伸びている。石畳だ。この時代に石畳、と疑問を持ちながらも、右へと足を移した。自分がどこに行くかはわからない。それでもたぶん、この永遠のように伸びている坂を下っていくことが、いいように思われる。
 人はまばらだ。ここはどこだ、どこへいくのだ、どこになにがあるのだ、マシンガンのように質問をしてみたいけれど、元来の性質のせいで、話しかけられない。それに、どの人も自己に集中しているかのように、下を向いて歩いている。老婆、親と手を繋いだこども、紳士、青年、皆が皆、自分のペースでずんずんと歩いていく。
 私一人だけが、ふらふらとした足取りをとっている。幾人もの人が、私を追い越していき、また向かい合う人は通り過ぎていく。
 明確な目的地もない。ここがどこかさえわからない。それなのに、どうやって他の人のように黙々と歩けるというのか。私にはできない。ふら、ふらり、ふら。一歩ずつゆっくりと、坂を下っていく。
 周りは三階建ての屋敷ばかりが連なっている。いつのまにかこの建物が押し迫ってきて、自分は潰されてしまうんじゃないだろうか。道が狭まっていくような錯視を起こしてしまう。歩いている人々は、建物のことなど気にしている様子もない。どうして私だけ。不安が募るばかりで、歩くことをやめたくなる。やめたいけれども、足が止まってくれない。ひたすら歩け、と脳が命令する。
 少し歩いていくと、一軒だけとても低い建物があり、景色がそこだけ違っていた。ぱっと、抜けた部分には、海が見えた。太陽の反射が、波の動きでうねる。しかし、こちら側への光は薄い。海は、この街を嫌っているのだろうか。私を嫌っているのだろうか。光を届けてはくれない。太陽さえも、そっぽを向いているような気分がする。淡い光は、そのまま海に溶けて、魚が食べてしまうのだ。人間が最初に太陽を裏切ってしまったから、こんなことになったのかもしれない。
 空を見上げて、太陽を探した。一所懸命に、ぐるりぐるり、探した。目が回っただけだった。どこにも、太陽が見えない。
 もう一度だけ、海を見た。光はなかった。
 瞬間、背中を、どんっ、と誰かに押され、バランスを失った私は、ごろん、と倒れた。痛いと思おうとしたのだが、何も思えず、体を丸くした私は下り坂をきれいに滑っていく。
 ごろ、ごろ、ごろ、ごろ。
 坂の上のほうを転がりながら見てみると、黒い人の群れができていた。皆、薄っすらと笑いを浮かべ、転がる私を見つめている。これでは、誰が私の背中を押したのか、見当がつかない。
 ごろ、ごろ、ごろ、ごろ。
 人の群れが見えなくなるところまで、転がってきた。出発点が見えなくなり、到達点も見えない。永遠に、転がっていくのだろうか。このまま、いくのだろうか。
 海に落ちるなら、それもいい。
 ごろ、ごろ、ごろ、ごろ。
 ごとんっ!
 目を覚ますと、ジュースを入れたグラスを倒してしまった。オレンジジュースが、だらりと太腿にたれた。
 空を見上げると、夕焼けが滲んでいた。太陽は、ある。この街を、照らしている。カラスが鳴いた。
 ベランダに干した洗濯物が、カタカタと揺らいだ。



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