ホットパンプレート


 晴れやかな日曜日、突然訪れたサクラくんが、お昼ご飯作ってあげる、と言うので、今日こそはと期待をこめて、しぶしぶと家に入れた。
 サクラくんの手にはスーパーの袋がぶら下がっていて、カチンコツン、という音がしていた。その中身ならば、と安心したのが馬鹿だった。
 「…サクラくん、君は何を作っているのかな?」
「ん?見たらわかるでしょう。パンケーキに決まってるじゃない」
 目の前には、ちょうどよい温度に設定されたホットプレートの上に、ぷつぷつと穴を空けはじめた薄卵色のホットケーキの生地が、どでんと乗っかっている。
 見まごうことなく、普通のホットケーキである。
「またか!」
と、つい本音が出てしまった。
「この前もホットケーキ。その前もホットケーキ。ホットケーキ、ホットケーキ、ホットケーキホットケーキ、って、どのくらいホットケーキを私に食わせりゃ気が済むのよ!」
頭の中で数えてみるが、数えられないくらいサクラくんのホットケーキを食べている。ゆうに十回以上は食べているだろう。夜ご飯にだって、この人はホットケーキを焼く。
 それなのに、ホットプレートには、焼きそばでもなく、お好み焼きでもなく、(贅沢だけど)焼き肉でもなく、やっぱりホットケーキ。
 「サキちゃん。僕が作っているのは、パンケーキ」
そう言って、ぽんっ、とサクラくん曰くのパンケーキをひっくりかえした。とてもきれいに、こんがりと焼けた表面を、どうだ、と言わんばかりに見せている。
 サクラくんのパンケーキの裏返し方は、感激するほど素晴らしい。最初の頃は拍手までしていたけれど、今では見慣れてしまったのか、ただすごいすごい、と思うくらいだ。今日はそれに加えて、どうしてその腕をお好み焼きをひっくりかえすために使ってくれないのか、とため息をついてしまった。
「何、サキちゃん、ため息ついて?」
「もうホットケーキ、飽きた」
「だから、ホットケーキじゃなくて、パンケーキ」
「どっちでもいいよ」
「よくないの。パンケーキ。それにね、小麦粉の絶妙な分量、そしてミルクと卵の神技とも言えるブレンド、これ、僕にしかできないよ?わかる?」
なんだか、どっと疲れが出て、肩が下がってしまった。
 わかっているのだ。嫌というほど、わかっている。たしかに、サクラくんの作るパンケーキ(彼は思ったよりも強情なのでこう言うことにする)は、生きてきた中で、一番美味しい。わかってはいるが、会うたんびにパンケーキばかり作られては、たまったもんじゃない。
 「でも、飽きたもん」
「だから、これ持ってきたでしょう」
サクラくんは、持参したスーパーの袋をがさごそと探り、パンケーキから目を離さずに、私に「はい」と探り当てたものを手渡した。
 「何これ?…ラズベリージャム?」
 カチンコツン、という音の正体は、こやつだったのか。
 ひょろ長いその瓶のラベルを、ぐるぐる回しながら読み、これをどうするのか考えてみる。が、どう考えても、思いつかない。私が、瓶をぐるぐる回しすぎるので、サクラくんは苦笑いをして瓶を取り上げた。
 「そう、ラズベリージャム。いつも蜂蜜じゃ飽きるでしょう。甘酸っぱくて、美味しいよ」
「てことは、パンケーキにそれをかけるんですか?」
「そうです、かけるんです」
そう言っている間に、パンケーキができあがり、私専用のお皿にまあるいご飯が軽やかに舞い降りた。
 「これに、このラズベリージャムをかけまして…っと。はい、いいよ」
サクラくんは、柔和に微笑んで、お皿を私の前に差し出した。それを、王様から授かるもののように、両手で受け取る。
 パンケーキの上に、申し訳なさそうにちょこんと座るラズベリージャム。けれど、きらり、とそれは宝石みたいに光った。
「きれいだね、これ」
「僕が一番好きなジャムだからね」
「そういう理由?」
「ははっ。とにかく、食べてみてください。ちゃんと全体的に伸ばしてね」
「わかってるわかってる」
 フォークでパンケーキを一口だいに切り、ジャムがかかっていることを確認しながら、ぽふん、と口の中に入れた。
 見た目のきらきらからは想像できなかった酸っぱさが、口に広がった。酸っぱい、でも甘い。ああ、これが甘酸っぱい、ってやつね。
「美味い」
「ほらほら、やっぱりね。今日もパンケーキでよかったでしょう?」
「パンケーキじゃなくて、ジャムが美味い」
「ええ、ちょっと、それはないんじゃないの」
サクラくんは口を尖らせ不満を言いながら、自分のフォークを伸ばしてきた。
「え、やだよ。自分でもう一枚焼きなよ」
「いいじゃない、一口くらい。見てたら、食べたくなった」
「まったく…」
サクラくんも一口だいにパンケーキを切り、ぽふん、と食べた。
「うん、我ながら美味しい」
「いや、だから、ジャムがね」
「ジャムに合うパンケーキを作れる、これ、素晴らしいじゃないの」
サクラくんは自信満々に笑いかける。まあ、そうだけれど。悔しいから、誉めないけれど。
 「でもやっぱり今度は違う食べ物がいい」
少しだけ俯いて、私は抗議してみた。
「焼きそばとか、お好み焼きとか。パンケーキをそんくらい上手にひっくりかえせるんだからさ、お好み焼きだって、ぱぱっとできるでしょう?」
サクラくんは、んー、と目を閉じて、考えるふりをした。そうしてすぐに、ぱっと目を開けた。
「だって、サキちゃん、ソース臭くなったら、怒るでしょう?」
「は?」
 誰にも言ったことがないが、私は部屋を無臭に保ちたい性格なのだ。これは、サクラくんにも言ったことがないのに。
 いたるところにおいてある防臭剤を、サクラくんは見逃さなかったのか。
 「…じゃあ、焼き肉…」
「焼き肉も相当臭くなりますけど」
「…」
「だからね、パンケーキを作るの。パンケーキの匂いは、嫌いじゃないでしょ?」
 私はちょっと上を見て、匂いが漂ってないかな、と探す。ほのかな甘ったるい匂い。
 うん、嫌いじゃない。
 「もう一枚、焼いて」
私はなんだか顔が熱くなってきたので、下を向いて、皿を、ざっ、とサクラくんの方に突き出した。
 サクラくんは、ふふふ、と笑うけれど、決してからかうことはしない。
 「今度は、蜂蜜にしますか、サキちゃん?」
「ううん。さっきのジャムがいい」
「あら、サキちゃんもお気に召しましたか、ラズベリージャム。甘酸っぱい、これぞまさに恋の味ですね。ああ、上手いこと言った」
「え、いや、全然上手くないから」
サクラくんはとても恥ずかしいことを言っているはずなのだが、そんなことは塵とも気にせず、豪快に笑った。
 恋の味か。まあ、それもいいか。
 今日のお昼も、サクラくんのパンケーキでお腹をいっぱいいっぱいに満たすことにしよう。どうやら、今日のパンケーキには赤い宝石の魔法がかかっているようなので。



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