カフェオレボウル


 私は喫茶店の奥の席に座って、戦争と平和を見ている。あのロシアの名作ではなく、そのままの意味で、一組のカップルの喧嘩と、一組のカップルの甘いデートが、目の前で繰り広げられているのだ。
 喧嘩をしている二人は、もうすぐ別れようとしている。女が泣いているので、たぶん男が切り出したのだろう。男はイライラしだしたのか、さっきからテーブルを指で鳴らしている。コツコツコツコツと啄木鳥のような音をさせるこの男のいいところとは、どんなところだろうか。泣いている女にしかわからないことかもしれない。私には到底理解し得ない。
 仲の良さそうな二人は、そんな二人を見ないようにしつつも、チラと視線が向く。そして冷ややかに笑う。二人にはたぶん、この喧嘩が限りなく遠い他人事に見えるらしい。自分たちの身には絶対に降りかからない、と思っているのか。何ヶ月か先にその立場になる、とも考えないようだ。冷笑が幸せの証なのか、と私は身震いをする。
 私はというと、そんな四人を視界に入れながら、ぼんやりとカフェオレを飲んでいる。それこそ、本当に無関係な、海の向こう側にいるみたいに。
 ぐるぐる、とカフェオレをスプーンでかき混ぜた。牛乳とコーヒーは完全に溶け合っているけれど、私はもう一度スプーンを回し、ちょっと止まってから、もう一度回した。思い立って、シュガーポットから砂糖を一杯、カフェオレに注いだ。冷めてきているせいか、砂糖はカップの底でジャリジャリと音をたてた。
 なんとか溶け切った砂糖の入ったカフェオレを口にすると、さっきまでの苦さは薄れて、優しい甘さにほっとした。一息ついて目を上げると、戦争をしていた男は立ち上がり、平和そうな男女を睨んでから喫茶店を出ていった。平和なカップルは飛び火してきた戦争に不服そうな顰め面をし、残された女を見やって喫茶店を出た。女は一人、黙って俯いたままだ。
 私は両手に抱えたカップの中のカフェオレを見つめた。牛乳とコーヒーと砂糖は一所で上手く溶け合って、こんなに美味しいのに、やっぱり別々の一個体として存在しているのだ、とふと思う。冷め切る前に、私は喉の奥にカフェオレを流し込んだ。
 そっと女の方を見る。一人になってしまった女は、まだ何もできずに座っている。私は、この人のことを喫茶店から出ていく最後まで見守ることができるだろうか、そんな気持ちになっていた。
 こんな狭い同じ世界の中で、戦争と平和が同時に起きている。私は誰の味方にもならず、同じ世界の同じ時間の中に、じっとしている。



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