別れさせ話


 キミコの部屋は、しんとしていた。見ているわけでもないテレビの音が流れ、ときたま外を通るバイクの音がするものの、圧倒的に静けさが勝っていた。部屋の中に、二人も人がいるというのに。
 トヨヒコは横になってテレビの方を向いているけれど、ずっと携帯電話をいじっている。キミコはそんなトヨヒコを気にすることもなく、デザートに買っておいたゼリーを一人でモクモクと食べていた。
 二人とも、無意識のうちにそうしていた。まるで習慣のように、そうなっていた。週末にトヨヒコがキミコの部屋に来る、そうして晩ご飯を食べて、それぞれ何と言うこともなく時間を過ごし、もう少ししたら終電でトヨヒコは帰っていく。
 今日もそうなるのだろうか、とキミコは最後の一口を掬い取った。
 トヨヒコが、不意に体を起こした。突然のことに驚き、キミコはスプーンからゼリーをこぼした。太股に落ちたゼリーが冷たい。
 ティッシュでゼリーを拭いていると、トヨヒコはため息をついた。キミコはその出所を見た。久しぶりに、トヨヒコの口の形を見たような気がした。キミコが今まで見たことのない、歪んだ形だった。
 「キミコ、」
 その歪んだ口で、トヨヒコが声をかけてくる。
「なんで、別れよう、って言わないの。」
 ティッシュから目を上げると、トヨヒコはキミコを真っ直ぐと見ていた。キミコも目をそらさず、トヨヒコの目を黙ったまま見た。
「もう、知ってるんだろう、キミコ。」
「…何を?」
「何を、って…、」
 トヨヒコが言わんとすることを、キミコはすっかりわかっていた。
 トヨヒコにはキミコではない好きな人がいるということも、もうその彼女と付き合っているということも、もうキミコを好きではないということも。だから、キミコと別れたいということも。
 「それを言うなら、トヨヒコでしょう。」
「え?」
「トヨヒコが別れたいんだから、トヨヒコが別れよう、って言えばいい。」
 キミコは真っ直ぐにトヨヒコを見た。トヨヒコは、目をそらした。
 トヨヒコの携帯電話に通じている相手は、今、何をしているだろう。
 「早く帰りなよ。」
きっと、もうキミコを呼んでくれなくなったトヨヒコの部屋で、彼女はトヨヒコの帰りを毎週待っていたのかもしれない。こんなにも茫漠とした時間を過ごす二人とは違って、トヨヒコと彼女はしっかりと繋がっていたのだろう。
 「早く。帰ってよ。」
 キミコも目線を落とした。そこにはゼリーのシミが、ただじんわりと広がっていた。
 トヨヒコは何も言わずに立ち上がり、振り返らずにキミコの部屋を出た。静けさは、さっきと変わらないままだった。
 トヨヒコが何も言わないので、別れたのか別れないのかキミコにはわからなかった。でもこれで別れたことになるのだろう、とキミコはさっきまでトヨヒコが寝転がっていた場所を見た。そんなには大きくない、人一人分のスペースだ。
 別れたい、とキミコは思っていたのだろうか。唐突にそんなことを考えた。単に、別れるだろうという確信があっただけで、キミコの気持ちはどっちなのか、本人にさえ区別がつかない。
 キミコはおもむろにスカートを脱ぎ、洗面所へ向かった。ゼリーのシミに水と石鹸を当てて、力いっぱい揉みこんだ。布の擦れる音が、耳の奥で膨張した。



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