10/06/2018(Sat)
 北海道に旅行に行ってきた。帰ってきた途端に、復興割、とかよくわからんニュースが飛び出てきて、なんやねん、と知りもしない関西地方の言葉を使いたくなる心境。札幌と小樽にしか行かなかったのだけど、この辺りは特に被害が大きい感じはなかった。人も沢山いて、困ることもなく、普通に観光した。どこでも、節電営業中、という貼り紙がしてあって、7年前のことをちょっと思い出したけど、それ以外は地震を思い起こさせるようなものはない。とにかく、普通にしていることがいいのだ、と思って、普通の観光客としてぶらぶらと歩いた。

 北海道から帰ってきたら、唐突に寒さを感じるようになり、すっかり秋の様子。この唐突さに、私は風邪気味である。気温の変化に弱すぎ。年を取ったものだ。喉の痛みを感じたら、すぐ薬を飲むようにしているんだけど、治りが遅い。これまた、年を取ったものだ。

 年を取ったといえば、5年ほど前に買ったジーパン(最近は何と言えば正解なの)を履いてみたら、どうにも窮屈で、体重も体型もそんなに変化ないなあ、と思っていたけど、やっぱり微妙に太ってはきているようだ。筋力の低下が著しい。かと言って、高校生のようなトレーニングをする気にはならないし(基本的にはやる気がないのに、部活をしていたときはかなり真面目にトレーニングに励んでいた自分はいったい何だったのだろうか)、ジムやらカーブスやらに行く気にもなれない。このままよぼよぼになっていくのか。うーん…。


 09/17/2018(Mon)
 前回から1か月、間が空いてしまった。その間に雨が降ったり、地震が起きたり、自然の力を感じることが多い。自然の中で生きているはずなのに、いつも人間は自然に抗うなあ、と思ってしまう。

 私自身は、2011年に大きい地震を経験したわけだけれど、いつの間にか遠い記憶になってしまう。あの瞬間に感じたことは、なんだか嘘だったような気がしてしまう。怖かったことも、つらかったことも、なんだかもう笑うしかなかったことも。だけど、そうやって薄れていっていくことも、悪くはないんじゃないか、と思う。時間が救ってくれることが、沢山ある。というか、時間しか救ってくれないことが、ありすぎる。

 こういう大きい災害に遭うと、まあ当たり前のことなんだけど、いつ死ぬかわからないもんだ、と思うもので、こうなるとできる限り、やりたいことはやる、欲しいものは買う、やりたくないことはやらない、と考えるようになるのだ。そんなわけで、私は旅に行く。先週は関東地方をぐるぐるして、美術館で見たいものを見てきた。そして来週は北海道へ行ってくる。

 来週を楽しみに、私は相撲を見つつ、過ごす。はあー、一日中家にいたい。


 08/19/2018(Sun)
 私は大抵の時間、生きるのがつらい、と思っている。まあ、昨今の世の中、そういう人はいっぱいいるのだろう。だから、私は別に普通だし、平凡で、たぶんそうやってこれからも生きていくのかな、と思う。でも、生きるのがつらい、と思う年数が20年以上の年月を経て、あまりにも長いこと私の頭の大半を侵略しているので、これって本当に普通なのかな、とも思ってしまう。どうやってみんな生きているのだろう。

 今日は日曜日だというのに、甲子園は休み、ということで、テレビを見ることもなく、なんとなくぼーっとしている。たまにスマホを開いてはパズルゲームをしてみたり、ごろごろ寝転んでみたり、そうして今文章を書いてみたり。少しだけ暑さがやわらいでいる日なので、編み物でもしようかな、と思う。早く秋になってほしい(そうすると、あっという間に冬なんだけど)。

 少しだけ、泣きたいなあ、という気分になる。


 08/12/2018(Sun)
 さて、今日も我が家のテレビは甲子園がかけられている。

 熱中症で倒れたり、足を攣ったりする人が沢山いる、というニュースをよく見る。こんな天候で運動させるなんて殺人だ、という批判意見も見かける。それはそうなんだけど、批判する人はどうして批判しかしないんだろう、と思うときがある。これは甲子園の話だけに限らないんだけど、最近のネット上、特にツイッターなんかではその傾向が強いなあ、なんて。批判というのは、自らにも意見や代替案があってこそのものである、と私は思うのだが。批判だけしたい人は、相手を傷付けたいだけなのだろうか。よくわからない。

 人を傷付けることって、それなりに労力がかかる気がするのだけど。皆は違うのかしら。ストレス発散で、見ず知らずの誰かを傷付けたとして、それで本当にストレスって軽減されるのだろうか。私は無理だなあ。私は余計にストレス過多になる(うわあ、傷付けた、傷付けたよな、自分嫌なやつだ、悶々、みたいな)。私はどちらかというと、人間というものに誰とも関わらずに、波風立たない方が、ストレスない、と思う。

 傷付いたり、傷付けたりしても、人と関わりたいってことなのか。はあ、それはそれで、偉いのか。いや、違うか。

 どうでもいいけど、私はテレビでスポーツを見るのが好きなわけです。自分がずっと運動部だったから、どれだけの練習をしてその場に立っているか、そして予測できないドラマが必ず一人一人にある、ということを想像してしまって、それだけで胸いっぱいなわけです。だから、簡単に甲子園なんかなくした方がいい、とか言う人がいると、ああこの人はスポーツをしたことがないんだなあ、と思う。運動じゃなくても、何かに一所懸命になったことがないのかもしれないなあ、と思ってしまう。高校生なんて、狭い世界で生きているのだ。たぶんだけど、狭いからこそ、命を懸けていると思うんだよなあ。そこを大人がちゃんと、命を懸けなくてもいいから、できることを増やしていく、闇雲に頑張らない、というところに落ち着かせるべきなんだ。そんなの、大人なんだから、もうわかるだろ。

 小説を書くけれど、やっぱり甲子園のドラマには敵わない。泣くわー。


 08/05/2018(Sun)
 暑中お見舞い申し上げます。今日も暑いです。

 夏だ。夏なんだなあ。すっかり夏なわけで、あつはなつい、と言いそうなほど、疲れている。自律神経を乱したらしく、この前仕事から帰宅後、突然号泣しはじめた自分に、自分でビックリした。その数日後、猛暑で気が狂って自殺した、という昔の新聞記事をネット上で見かけ、洒落にならん、と思った。皆さんもお気を付けください。お前が一番気を付けろ、という話なのだが。

 夏なので、今日から甲子園が始まった。甲子園を見るのは好きだし、美しく編集された試合映像を見て泣いてしまう方なのだけれど、今年の異常な猛暑の中で、人は運動をしていいものなのか、と心配になってしまう。それでもこの日のために練習してきた高校生は、決して試合したくない、と思うわけもないし、ここはやはり大人が子供を守らないとダメだよ、と思う。まあ、世の中の大人たちは自分のために動いている、というニュースが溢れる最近だけど。

 雷が鳴りはじめた。久々の夕立だろうか。今日、こちらでは花火大会がある。私は勿論、熱中症が怖いので、出かけない。


 07/21/2018(Sat)
 さて、本日も相撲を見ながらお送りします。

 これを書きはじめたのはいいものの、何日分くらいで1ページにしようか、と悩みはじめた。毎回毎回こういうことで悩む。昔は5日分くらい残して、古いものから順に消していったような記憶がある。今回もそんな感じでいこうかなあ。まあ、私以外誰も読んでないだろうだから、そのへんは適当にやっていこう。

 今年は毎日毎日暑い。いつもならまだ30℃になっていなかった気がするんだけど、7月にして、毎日のように30℃越え。これはきつい。私は暑さにも寒さにも弱いんだけれど、特に暑さには弱い。というか、熱中症になったことがあるので、正直弱いというよりは、怖い。

 体調が悪いと、たいてい頭が痛くなるせいで、熱中症の頭痛に気付かなかったがために、本当に散々な思いをした。私の場合、異常に汗が出る、なんか気持ち悪い、頭痛い、全然飲み物を受け付けない、汗がまったく出ない、動けない、吐く、という感じに悪化していった。どこかの段階で対処していれば、吐くことはなかったんだろうけど。吐いたあとの気持ち悪さはかつてないほどの気持ち悪さであった。死ななかったのが不思議だ。

 とにかく、なんか調子悪い、と思ったら、すぐに体を冷やすべき。水分をこまめに摂って、塩分補給しろ、とか言われているけど、それは水分を補っているだけで、熱中症を解決はしてくれない。汗をかいて、蒸発してくれれば、体が冷えるはずのに、こう湿気もあるとねえ…本当に暑い。

 熱中症対策の話ばかり書いてしまった。何故かって、暑くて、その話しか思いつかないからである。


 07/16/2018(Mon)
 月日は滔々と流れて、現在2018年。果たしてこのホームページを訪れてくださる方がいまだにいるのか、甚だ疑問ではあるのだけれど、何故か今になって私は、こんなことをしている。今更、日記でもない、小説でもない、どうでもいい文章をつらつら書いてみよう、と思った理由は何か、と問われても、特にない、としか答えられない。ただ、ブログを使えば簡単なことも、ツイッターなんかで短く呟けば済むことも、簡潔に言えば、飽きた、ということだと思う。飽きた、ということは、私には向いていない、ということなのかもしれない。昔みたいに、ぽちぽちとタグを打って、ぽちぽちと文章を書いて、こっそりとインターネットの波に浮かべてみる。昔みたいにしてみたからって、何かを取り戻せるとも思っていないけど、少しだけ何か楽しいことができるんじゃないかなあ、と自分に期待してみる。この1回だけで終わることかもしれないし、もう少し続けるかもしれないし、まあつまりは、これも飽きたらやめる、ということだ。

 飽きる、といえば、ホームページ自体は飽きていないのか、という問題もあるのだけど、書くこと自体は飽きるという感じはないから、書ける場所を自分で用意している感覚だろうか。用意しているだけで、全然使っていないけど。前にも書いたが、昔は自分の部屋にパソコンを置いていたものを、居間に置いて両親も使えるようにしたので、自分がパソコンを使う時間が激減した。今は週末に使うくらいだ。なので、タグをぽちぽち、という時間がほぼない。まあ、時間がない、というのは、時間の使い方が悪い、というだけなのは知っているので、言わないでください。あと、夏だけ限定で言うと、我が家にはエアコンがないため、長時間パソコンを触っていられない。今も正直、死にそう。

 ということで、思い付いたことをだらだらと書いていきたいなあ、と思う。

 そういえば、私がホームページを始めた頃は、こんなふうにだらだらとした日記のページというか、思い付いたことを書いてあるようなページが、沢山インターネットの世界には点在していた。ユーモアとセンスのある文章が溢れていたし、気軽に触れることができて、私もいろんな人の日記をよく読んでいた。たぶん今はブログを使っているんだろうなあ、と思うのだけど、ブログを読む習慣は私にはない。なんでなんだろう。タグ打ちされた、その人の形作ったホームページに、その人の書いた文章が存在している、という方が、その人らしさを感じられる気がするのだろうか。まあ、私が年を取っただけだな。ツイッターに関しても、呟いたものを全部読めればいいけれど、短い文章はどんどん流れていって、140字の中だけでその人を判断するような人が大勢いて、私は疲れてしまう。かと言って、私のこの文章だけで私を表現できているのか、というと、まったくそうではない。ここまで、だらだらと長々と書いておいて。言葉というのは、本当に難しい。

 日記のホームページをやっていた人が、普段生活をしていて、あることなすこと、体験するすべてを、日記にするための文章に頭で変換してしまって嫌になった(そうしてそのホームページは閉鎖された)、というようなことを書いていたのを思い出す。そうかあ、そういうこともあるんだなあ。私はたいてい何かを考えているときは、日本語を使って、頭の中で文章化しているから、別段苦痛を感じたことがない。それを今までアウトプットすることがなかったから、そうすると嫌になることもあるのかもしれない。

 そんなことを書きつつ、でも、小説を書くときは、映像化して書いているので、思考と創作のときの脳の使い方が違うのだろうか、と自分に自分で不思議になっている。

 こんな感じで、気が向いたら、だらだら書いていきたい。今回はちょっと、相撲を見ながら書いていたので、とりとめのなさが半端ない。まあ、いいか。とりとめのない文章を、書いたっていいじゃないか。私のホームページだし。何かありましたら、ツイッターの方にご連絡ください。これだけツイッター苦手、みたいなことを言っておいて、ツイッターのアカウントはあります。




inserted by FC2 system